◆「為替」の語源
約800年前の鎌倉時代、日本ではいろいろなお金が使われていました。「為替」とは、もともとお金とお金を替える、つまり交換する意味でした。銀行では、送金したり、現金を使わずに支払いと受け取りすることを広く「為替」と呼んでいます。
◆世界で最初の銀行
12世紀ごろのイタリアにおこりました。そのころの北イタリアは、世界の貿易や文化の中心地でした。いろいろな国の通貨が集まり、交換を取り扱う「両替商」が活躍するようになりました。この「両替商」がだんだん他人のお金を預かるとか、また必要な人にはお金を貸したりするようになったのです。つまり、「銀行」は「両替商」からおこったのです。
◆日本の銀行の始まり
明治政府は、産業や貿易の発展をはかるため、明治2年に「為替会社」という金融機関をつくりました。その後、明治5年に「日本銀行」が設立され、それ以後は、「日本銀行」が銀行券を発行できる唯一の発券銀行になりました。
◆「銀行」の語源
英語で「BANK」を翻訳するに当たり、「両替屋」ではなんとなく変なので、金より銀のほうがお金として社会に出回っていたので「銀」、そして店舗を表す言葉を中国語で「行」というので「銀行」となりました。
◆銀行の3大業務
(1)お金を預かる「預金業務」、(2)お金を貸す「融資業務」、(3)送金したり、現金を使わず支払いと受け取りをする「為替業務」です。「銀行って何をしているところ?」と、子供に聞かれたら、こう答えれば合格です。
◆為替相場の歴史
「智者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言われます。世界及び日本の為替相場の歴史を勉強してみましょう。
為替相場の歴史というと、私が生まれた頃は、1ドル=360円の時代でした。「円」が誕生した明治維新頃から出発してみます。
◆金本位制
当時、世界の基軸通貨は英ポンドで、そのイギリスが1821年に金本位制を採用しました。これにより、世界的に金の価格が上昇し、銀の価格は下落しました。そうなると、金への交換を求めて銀が流入し、金が流出する現象になりました。いわゆる、「悪貨は良貨を駆逐する」です。その結果、ドイツは1871年、アメリカは1879年に金本位制に移行しました。
金本位制では、各国の通貨は金の量であるオンスで表示されました。対外的に金の重量比から固定相場制になりました。アメリカの法定金価格は1オンス=20.67ドル、イギリスの法定金価格は1オンス=4.24ポンドでした。したがって、ドルとポンドの「金平価」は、1ポンド=4.87ドルとなっていました。
また、当時の各国の中央銀行は、発行紙幣を要求があれば金に交換しなければならず、マネーサプライを、金の準備高と比して常に一定割合に調整しなければなりませんでした。これによって、国際収支の不均衡が自動的に調整される「価格・正貨移動メカニズム」が作動し、為替相場は40年間安定していました。
◆この時代のわが国の為替相場
1858年の日米修好通商条約は不平等条約として有名ですが、その中に、「外国の諸貨幣は日本貨幣同種類の同量を以って通用すべし」という条項が盛り込まれています。天保一分銀は世界的に流通していたメキシコ銀よりも良質で銀含有量が多く、さらに内外の金銀交換比率格差があり、わが国は世界市場より銀高な水準にありました。こうして、幕末の開国以後、大量のメキシコ銀が国内に流入し、外国商人は莫大な裁定益を稼ぎ出し、大量の金が国外に流出してしまったのです。
◆円の誕生
1871年、新政府は、日本の通貨として「円」を誕生させました。
円の発足当初、円ドルの為替相場は1ドル=1円でした。
1877年、西南戦争が勃発し、政府は戦費を賄うために不換紙幣を大量に発行しました。
1882年、日本銀行が創業し、1885年に日銀は兌換紙幣の発行にこぎつけました。
1895年、日清戦争の賠償金として多額の英ポンドを手に入れ、それをイギリスで金に兌換しました。それにより、1897年、貨幣法を制定して、正式に金本位制をスタートしました。円ドル相場は1ドル=2円となり、円発足当初より50%も円安となりました。30年で50%も円が下落しましたが、以後20年間は金平価は維持されました。
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